「スマホにフォーカスした」とはどういう意味か?

前回のつづきです。本サイトの「すまみつ」告知ページでは〈スマートフォンにフォーカスした、新しいタイプの個人誌〉と書きました。そもそもタイトルからして「スマホで」とありますよね。これってどんな意味があるのでしょう?

 

昨日、青木光恵の単行本は売れないと書きました。これは言い換えると、青木は「自宅で繰り返し読みたい」というタイプの作家ではないということです。では、どういうタイプなのかというと「読み捨てされる作家」なのだと思います。

 

こう書くと、まるで悪くいっているみたいですが、そうではありません。他ならぬ青木自身がそうした意識でマンガを描いているとぼくに話しています。読んでいる最中はけっこう夢中になって読むけれど、終わったらキレイさっぱり忘れてしまう。そういうマンガ作品のことを、ぼくは「読み捨てのマンガ」と呼びます。青木はこのタイプの作品を描くマンガ家です。

 

ところで、この「読んでいる時は夢中だけど、終わったら忘れる」というのは、マンガ雑誌の消費行動に他ならないんです。マンガ雑誌って、大抵の人は読んだら捨てちゃいますよね。つまり青木は、本来マンガ雑誌でこそ力を発揮できるタイプの作家なんです。でも、現在マンガ雑誌がどんどん廃刊していることは、前回のエントリで述べたとおり。さて、どうしましょう?

 

ここで視点を変えてみると、この「読み捨て」というのは、なにもマンガ作品やマンガ雑誌に限ったものではありません。スポーツ紙、一般紙に限らず新聞全般、それから各種週刊誌なども同じく「読み終わったら忘れる」メディアです(その証拠にそれらのメディアは決まって保存に適さない用紙を使っています)。そして、これら全てに共通しているのが、ここ5、6年、急激に売れ行きを落としているということです(2010年にこのことを分析した拙稿があります)。

 

これら「読み捨てのメディア」に代わって台頭したのがスマートフォンでした。10年前の電車の中を思い出してください。そこでは老若男女にかかわらず、新聞や週刊誌、マンガ雑誌を読んでいましたよね。でも今は違う、何を見ていますか? そう、スマートフォンです。

 

青木のマンガを電子出版しようと思い付いた時、考えたのは単に電子化するだけではダメで、彼女の作家性に適した戦略を考えなければいけないということでした。先行する電子書籍に意欲的なマンガ家の方々は、みんな単行本を電子化していますね。青木の場合はそれを真似しても成功しないと思いました。なぜなら彼女は単行本が売れない「読み捨てされる作家」だからです。では、どうするか?

 

「スマートフォンにフォーカス」というのは、その第1の戦略でした。つまり、青木は電車の中で読み捨てされるメディアに適したマンガを描く作家です。だったら、「読み捨てのメディア」の置き換え品であるスマートフォンで読んでもらうような電子書籍を作るべきです。

 

では、どういう電子書籍がスマートフォンで読んでもらえるのでしょう。それが第2の戦略、「10日に1回の旬刊個人電子雑誌」です。「読み捨て」されるのだから、次々に新作を供給する必要がある。そうしてマンガ雑誌のように定期的に刊行することで、習慣的に電車の中などで読んでもらえるようになるのではと期待したのです。とはいえ1人でやる仕事量には限界があります。そんな青木のキャパシティーと、持続可能性との兼ね合いで導き出されたのが「10日に1回」という間隔でした。

 

さらに第3の戦略として、スマートフォンで読む気になってもらうよう、マンガの形態をスマートフォンに最適化しようと思いました。その最適化とは何か? すいません、ここまででだいぶ長くなってしまったので、この続きは次のエントリにゆずりましょう。そうですね、「スマホの画面に合わせたマンガづくり」というタイトルにしようかな。では、また次回。

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コメント: 1
  • #1

    小山由美子 (月曜日, 10 8月 2015 14:55)

    中学なんていらないを今読み終えました
    私の娘も今不登校です
    そして学校のやり方に不満爆発状態が続いております
    でも生きてるだけで学校なんていらない 
    最近の私はそう思っています
    生きてるだけで、幸せです