「読み捨て」についての補足

今回は「スマホの画面に合わせたマンガづくり」を書こうと思ったのですが、その前に前回青木を「読み捨てされる作家」と書いたことについて、いろいろな反響を読むと、どうもうまく伝わってないようなので、ちょっと補足しておこうと思います。

 

「読み捨て」と言っても、読んだ人の全てが青木のマンガを「捨てている」と言いたかったわけではありません(もちろん青木マンガの読者にはすごく熱心なファンがおり、ぼくたちはとても感謝していることは強調しておくべきでしょう)。大部分の人は「1回しか読まない」と書いた方がうまく伝わったかもしれません。この場合、対義語は「繰り返し読む」でしょうか。

 

ところで、ちょっと皆さん、自分の胸に手を当てて思い返していただきたいのですが、マンガにかぎらず、今年の小説、映画、演劇、絵画等々の作品のなかで、繰り返し読んだ/見たものって、いくつありました? ほとんどの作品が「1回きり」だと思うんです。

 

つまり、「1回きり=読み捨て」という消費行動は、青木マンガ特有のものではないのはもちろん、マンガ以外の小説、映画その他を含めても、むしろごく普通の受容のされ方なんです。

 

よく言われているように、現在のマンガ出版界は一度雑誌に掲載された作品を再び単行本にまとめるという「繰り返し」を前提としたビジネスモデルを採用しています。しかしこれは何度読んでも飽きない例外的な作品が続出して初めて成り立つ、きわめて歪んだものと言えないでしょうか。誰が考えても長く続くわけないですし、無理に続けられたら人気マンガ家以外の普通の作家は生きていけませんよ。

 

たぶん、自分の書き方がうまくないのだと思いますが、このことがうまく伝わってないなあと思ったので、ちょっと補足させてもらいました。

 

もうすこし言うと、スマートフォンは、この「1回きり=読み捨て」という消費行動にきわめて親和性の高いデバイスだと思っています。マンガ、小説、映画などの区別なく、なんでもこの中に呑み込み、そしてポケットに入れられ、いつでも取り出せるわけですから。

 

そんなスマートフォンに最適化したマンガづくりとは、どういうものか? 次回こそ、これについてご報告しようと思います。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    むったん (木曜日, 20 2月 2014 08:59)

    うさぱらーず様(小形様,青木様)

    「読み捨てされる作家」のお話,興味深く拝読いたしました.
    音楽は「聞き捨てされる」ことがあまりないにせよ,それ以外の映画,アニメーション,コミックス,ノベルズなどに関しては,たしかにそうだなと感じることがありました.

    テレビという形式で配信されるアニメーションやドラマ,お笑いなど,楽しかったけど詳細は覚えていないということは実感としてあります.むしろ,このように一回きりの出会いで終わるもののほうが多数なのかな,とも思われます.

    電子書籍から4年経ち,雑誌不況のなかでの「読み捨てられる作家」の生き残りの取り組みとして,うさぱらーずの活躍に期待しております.

    それから,twitter buttonなど,リンク先を紹介できるものがあればこの活躍をもっと知ってもらえるのになあと,ちょっと思いました.

    乱文失礼いたしました.